こんにちは。
今回はTOMOOさんの『Cinderella』の歌詞の意味について考察していこうと思います。
この曲はTOMOOさんの曲の中でも婉曲的な表現が多くて、歌詞にも深い意味が込められた曲です。
さらに、歌詞に限らず曲の進行方法も普通の楽曲とは異なっていて、それによって雰囲気がより出ているような曲となっています。
ぜひこの考察記事を読んで、そんな捉え方もあるんだと感じてもらえたら幸いです。
この記事はあくまで考察であって、個人的な解釈です。
これが正解でもないですし間違いでもないです。
たくさんあるうちの一つの解釈だと思って、楽しみながら読んでいってください。
歌詞の意味
ではここから歌詞の意味について私なりに解釈してご紹介していこうと思います。
1番Aメロ
シンデレラじゃないから
ガラスの靴は落としていけないよ
でも12時の坂道
人混みを縫って駅まで下ってく
TOMOO, Cinderella
いきなり出てきたタイトルの「シンデレラ」。
この曲では別れて去っていく「私」の姿を、12時を過ぎて去っていくシンデレラと重ね合わせて描写しています。
「ガラスの靴は落としていけないよ」、シンデレラのようにもう一度会うための手がかりは残しておけないよという「君」へのメッセージ。
逆に言うと、ガラスの靴を落としていけないのに、私のことを引き留めなくていいの?という「私」の引き留めてほしい、止めてほしい心情を表していると思います。
おそらく「私」は本当のところはまだ「君」と別れたくないのでしょう。
でも「私」は坂道を下って行くのです。
「人混みを縫って」という表現が「私」が弱々しく歩いていることを表しているように感じます。
力強く歩いているというよりは、人の隙間を縫うようにひっそりと歩いている姿が今の「私」の心情とぴったりではないでしょうか。
1番Bメロ
終電なんてほんとはどうでもいいから
運命線の最後にキスしたかったな
道玄坂下りきるまで振り向くなよ
君の目は揺らいでなかった
TOMOO, Cinderella
「私」の本音があふれ出します。
「終電なんてほんとはどうでもいいから」終電だからといって別れ話を切り上げてきたけれど、本当はそれはただの口実。
「運命線の最後にキスしたかったな」が仕方なく別れてしまったわけですが、それでもどこかでまだ別れたくないと思っている気持ちを体現しています。
「運命線の最後」という表現がまた素敵でいいですね。
しかし、そんな「私」の気持ちとは裏腹に「君の目は揺らいでなかった」。
別れたくないのに別れるしかない「私」と、別れるということを受け入れて気持ちが揺らいでいない「君」が対比されていて、切なくなります。
2番Aメロ
シンデレラじゃないなら
君だって王子なんかじゃなかったね
最寄り駅に着いたら霧雨がタクシーの列冷やしてる
TOMOO, Cinderella
2番では打って変わって本音というよりは自分を説得させるような、言い聞かせるような歌詞が出てきます。
「君だって王子なんかじゃなかったね」は、「君」が最適な相手じゃなかったのだと「私」が自分に言い聞かせて納得させているように聞こえます。
「最寄り駅についたら霧雨がタクシーの列冷やしてく」これは情景と心情のどちらもが表現されている箇所。
TOMOOさんもインタビューでこの歌詞の箇所は
主人公の相手への思いもここでスッとクールダウンする。もう関係性に幕が下りてしまった、みたいな。
https://natalie.mu/music/pp/tomoo03 より
と言っています。
直接読み取ると「私」が駅についた時の様子のように感じますが、霧雨が降って冷えていっているのは主人公「私」の気持ちも同じ。
「霧雨がタクシーの列冷やしてく」という表現は、シンプルながらも的確に「私」の気持ちが表現されていて、思わずうなってしまうような表現力です。
TOMOOさんの作詞の才能が垣間見れる箇所となっています。
2番Bメロ
玄関先に着くまで堪えたメロディ
明かりを消した部屋中満ちてく
桃源郷はなくても笑えてた喜劇
あの夏の二人はいない
あの夏の二人はいない
TOMOO, Cinderella
自宅についた「私」。
玄関先でようやく今まで口にできなかった、堪えていた後悔や葛藤の気持ちを吐き出します。
「明かりを消した部屋中」というのが暗い雰囲気が想像されてとてもいいですよね。
- 「私」のダークな気持ちの描写
の他に
- 明かりをつける余裕がないほど溢れてくる想いがあった
という風にも解釈できるのではないでしょうか?
TOMOOさん本人がそこまで意識したかわかりませんが、個人的にはこのダブルミーニングなんじゃないかと思っています。
「桃源郷」というのは平和で理想的な別世界のこと。
そんな夢みたいな世界ではなくても笑いあっていられた昔の日々を思い出しているのでしょう。
このような楽しい思い出が描写されると、一層そのあとの「あの夏の二人はいない」が虚しく感じてきますね。
対比が美しいです。
ここまで堪えてきた思いは、サビで表現されていきます!
サビ
baby くだらないプライドを壊して
baby つまらないこのルールを壊して
君はもう誰かに出会って
新しいコートが似合っているよ
TOMOO, Cinderella
「私」が別れて、逃げ出してしまったのは「くだらないプライド」「つまらないこのルール」のせい。
これらを壊してしまえば「君」とまだ繋がれていたかもしれません。
でも、ここにいるということはそれはできなかった。
出来なかったけれどそうしたかったという「私」の嘆きのような部分だと思われます。
「あとちょっとで殻を破れたかも」「扉を開けられたかも」というギリギリのところで結局は元の自分の感覚に戻ってしまうことって、別に恋愛じゃなくても何かしらいろいろあると思うんです。
https://realsound.jp/2023/01/post-1229650.html より
とTOMOOさんが言っているように、この嘆きは恋愛にとどまらず様々なシチュエーションに当てはめられると思います。
そんな私とは対照的に新しい相手を見つけているだろうと思われる「君」。
後半にかけて「私」と「君」の対比がたびたび登場しますが、この正反対な二人の様子に心が痛みます。
Dメロ
見たかったのは一つだけ
君の胸に隠れたダイヤ
TOMOO, Cinderella
もしかしたらこの部分はサビに含まれるかもしれませんが、一応Dメロということでやらせてもらいます。
私にとってのダイヤは「普遍性のある誰にも壊せない透明なもの」というイメージなんですよ。なので清濁の境目というか、“清”も“濁”も関係ない、人の美しい部分という意味で使っています。
https://natalie.mu/music/pp/tomoo03 より
何物にも損なわれない純粋で素敵な部分もきっとあったんじゃないかなって。それを見たかったということですね。
https://natalie.mu/music/pp/tomoo03 より
TOMOOさんはダイヤを「普遍性のある誰にも壊せない透明なもの」と表現しています。
価値観でも性格でもなんでも、全ては良い悪いは表裏一体の関係です。
協調性がある人は、別視点から見れば優柔不断とも見られます。
でも、そのような表面的なモノはその人の本質ではありません。
「清」も「濁」も関係ない人の美しい部分、それをダイヤと表現しているのです。
「私」は「君」のいい点を、価値観とかの違いなしにして見たかった、そのような願望を持っているのでしょう。
大サビ
baby くだらないプライドを壊して
baby つまらない境界線を壊して
変われないままの私を許してさ
鮮やかに季節飛び越えて
一人君は生まれ変わった
見たかったのは1つだけ
君の胸に隠れたダイヤ
TOMOO, Cinderella
もう一度、「私」は価値観の差を乗り越えられなかったことを後悔。
でも、実は「君」は変われない「私」を許したうえで、私と別れていってしまいました。
これって価値観の違いでぶつかって別れるよりも、違いを許されたうえで別れたほうが辛くないですかね。
個人的にはそちらの方がさらにつらいように感じます。
この部分、最初は「私を許して」というメッセージだと思ったのですが、Behind The ScenesでTOMOOさんがこの「許してさ」は『「君」が私を「許した」』ことを表しているということが分かりました。(参考:Cinderella Behind The Scenes)
「君」は「私」が変われないのは許せても、価値観が違う以上もう今まで通りにはいられないと思ったのでしょうか。
「鮮やかに季節飛び越えて、君は一人生まれ変わった」ここが一番顕著に対比がされています。
暗い部屋で沈んでいる「私」に対して、「君」は「鮮やか」に生まれ変わっていっている。
ここも鮮やかな対比です!
「君」のダイヤを見れていればよかったのか?と最後に「私」は思ってこの曲は幕を閉じます。
歌詞全体の本質
この『Cinderella』という楽曲は、曲ひとつでひとつのストーリーになっています。
最後に大まかなこの曲のストーリーを読み解き、楽曲全体に共通するメッセージについて考察していこうと思います。
価値観の違いを受け入れられなかった私
この曲の主人公「私」は、「君」との価値観が合わなかったことにより「君」のもとから逃げ出してしまいます。
「私」と「君」はおそらく恋人だったのだと思われます。
この分かれていく様子が楽曲を通して、シンデレラの話と関連付けられながら進んでいきます。
価値観が合わなくて逃げ出して別れてしまったといっても「君」と離れ離れになるのは嫌な「私」。
- ガラスの靴は落としていけないよ…また会う手がかりは残していけないよ
- 運命線の最後にキスしたかったな…最後まで結ばれていたかった
- あの夏の二人はいない…もう前のようには戻れない
このように、名残惜しいセリフが歌詞の中にもあふれています。
TOMOOさんは「Cinderella」の内容について、
「逃げて」しまって、それを後悔しているような曲です。ただ、そのことを「正しかったのかもしれない」とも思っている。結局は分からなないままなんですけど。
https://realsound.jp/2023/01/post-1229650.html より
とインタビューで話しています。
「私」は逃げ出してしまったことを後悔している一方で、正しい選択をしたようにも感じている。
この「私」の人間関係における葛藤も表現されています。
そのように考えると、この曲はただの失恋ソングというよりは、人と人の関わり合いのむずかしさというものを表現している作品のようにも感じられます。
TOMOOさん本人も
この曲は恋愛の形で書いてはいますけど、こういうことって誰にでも当てはまることがあると思うんですよ。物事というのは結局、人と人との関係で進んでいくものだから、そこに相手の考え方やルールが芋づるのようにひっついてくるのは当然ですから。そういった場面でどういう判断を下すのかというのは、本当にその人次第なんだろうなと思います。
https://natalie.mu/music/pp/tomoo03 より
と言っていますので、失恋ソング以外の視点で聴いてみるのも面白いと思います。
一風変わった構成
この「Cinderella」という曲は曲の構成も少し普通とは違います。
普通のJ-POPでは
- 1番Aメロ
- 1番Bメロ
- 1番サビ
- 2番Aメロ
- 2番Bメロ
- 2番サビ
- Cメロ
- 大サビ
のように曲が進んでいくことが多いです。(あくまで参考であって、例外の曲は数多くあります。)
例えばOfficial髭男dismの「Pretender」だと
- 君とのラブストーリー~
- もっと違う設定で もっと違う関係で~
- グッバイ 君の運命の人は~
- 誰かが偉そうに~
- もっと違う設定で もっと違う関係で~
- グッバイ 繋いだ手の向こうにある~
- Cメロなし
- グッバイ 君の運命の人は~
といった感じです。
ただし、「Cinderella」は1番のサビがないという特殊な構成になっています。
A、B、Cメロが省略されることなどはたまにありますが、サビが1番で出てこない楽曲はかなり珍しいです。(髭男の『SOULSOUP』は同じように1番のサビがなしの珍しいパターンです!)
この構成によって「Cinderella」は
- シンデレラじゃないから~
- 終電なんてほんとは~
- 1番サビなし
- シンデレラじゃないから~
- 玄関先につくまで~
- baby くだらないプライドを~
- 見たかったのは一つだけ~
- baby くだらないプライドを~
のようになっています。
最初のほうにサビがないという性質上、盛り上がりの最高潮がなかなか来なくて堪えているような空気感が演出されます。
これは主人公が気持ちを抑えている心情ともばっちりリンクしていて、さらに楽曲を魅力的にしている要因なのではないかと思います。
また、なかなかに珍しい構成なので、この構成がクセになって「Cinderella」にハマってしまいますよね。
曲の構成もこの曲の大きな魅力の一つです。
まとめ
今回はTOMOOさんの「Cinderella」という曲について歌詞の意味の考察をしてきました。
歌詞に限らず、曲の進行方法など一味違った考察しがいのある楽曲でした。
曲調自体は落ち着いて静かな曲ですが、歌詞を見ていると力強いメッセージが込められているように感じます。
この解釈にとどまらず、ぜひ皆さんそれぞれの解釈をしながら何度も「Cinderella」聴いてみてください。
(参考url : https://realsound.jp/2023/01/post-1229650.html, https://natalie.mu/music/pp/tomoo03)
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