TOMOO『Super Ball』の天才的な歌詞の全容を徹底考察!

TOMOO
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こんにちは。

今回は、大注目のアーティストTOMOOさんの『Super Ball』という曲の歌詞の意味を考察していこうと思います。

『Super Ball』といえば、2024年の年始の「関ジャム完全燃SHOW プロが選ぶ2023年のマイベスト10曲」でいしわたり淳治さんに1位に選出され、注目が集まっている曲です!

情景描写などを多用していて、とても深い歌詞になっています。

TOMOOさんの伝えたいメッセージすべてを解読できたわけではないですが、私なりに歌詞の意味を考察しましたので、ぜひ最後までご覧ください!

【追記7.13】

なんとこのSuper BallでTOMOOさんが、2024.7.19のテレビ朝日系「MUSIC STATION」(通称Mステ)に初出演することが決定しました!

なお、地上波としてもTOMOOさんはこれが初出演となります!地上波でぜひとも多くのリスナーを虜にしてほしいです!

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TOMOOとは

TOMOO公式サイトより

東京都出身 / シンガーソングライター

6歳よりピアノを始める。 のちに、聴いたことがない楽曲の歌詞に自分で即興のメロディをつけ歌って遊んでいたことなどをきっかけに、作曲に興味を持つようになる。

中学に入りオリジナル曲の制作を開始。その後本格的に音楽活動をスタートさせる。

2022年8月3日、PONYCANYON/IRORI RecordsよりMajor 1st Digital Single「オセロ」をリリース。

2023年9月27日、1st Album “TWO MOON”をリリース。

同年11月よりTOMOO LIVE TOUR 2023-2024 “TWO MOON”を開催。

TOMOO公式サイトより)

2022年にデビューしたシンガーソングライターのTOMOOさん。

代表曲の一つであるインディーズ時代の曲「Ginger」はYoutubeで300万再生を超えています

比喩や対比を用いた文学のような美しい歌詞と、力強いアルトボイスが魅力的なアーティストさんです。

2024年始の「関ジャム完全燃SHOW プロが選ぶ2023年のマイベスト10曲」では2位に「Grapefruit Moon」、1位に今回ご紹介する「Super Ball」がダブルで選出され、以降さらに人気が増してきています。

今後J-POPの筆頭を担っていけるような、大注目のアーティストです!!

ここからブレイクすること間違いなしなアーティストです!

歌詞考察

早速歌詞の考察に移っていこうと思います。

この『Super Ball』という曲では、曲名にもあるスーパーボールを主題として扱っています

スーパーボールと別のものの対比に着目しながら、またスーパーボールが何を示しているのか考えながら歌詞の考察を読んでいってください!

1番Aメロ(①)

大通りからそれて細道 この先ゆけばただの公園

昨日のことも 誰かの声も 今はオフ

TOMOO, Super Ballより

このAメロでは現実から逃避しようとする気持ちが暗喩的に語られています。

「大通りからそれて細道」は、「大通り」が世間一般の世界、「細道」が自分独自の世界だとすれば、一般的な世間から逃れて自分一人になるという現実逃避をしているような情景がイメージできます。

また「公園」というのもなかなか社会人とは縁が薄いものであり、童心に帰って現実逃避した感じが演出されています。

さらにわかりやすく描写されているのが次の歌詞。

「昨日のことも 誰かの声も 今はオフ」というのはそのまま、昨日のつらいことや誰かの心無い言葉から離れたいという気持ちを示しています。

はじめの部分では、日々の生活で何か苦しいことがあり、それから逃避したい、オフになりたいという気持ちが描写されているように私は感じました。

メロディーにも暗示される現実逃避したい気持ち

そして現実逃避したいという気持ちは曲にも表れているように思われます

『Super Ball』はTOMOOさんの曲としては恐らく初の、最初に楽器ではなく人々のざわめきから曲が始まります。

そして、TOMOOさんが歌い出す瞬間にそのざわめきがいきなり消滅します

これが世間からの痛い言葉などから「オフ」の状態になった事を示しているのではないでしょうか。

つまりイントロの部分は大通り、日常世界にいる状態、TOMOOさんが歌い出して周囲の話声が消えた瞬間から現実から離れた状態。

少し深読みのような気もしますが、このようにも解釈できると思います。

1番Aメロ(②)、Bメロ

おさまりのいい 綺麗なビルじゃ

まるで馴染まないちゃちなボールを

ポケットの中一個隠して歩いてる

真四角になれる素質なんて 誰も持っていないのに

はみ出して転がりだす迷路 君も同じならこの歌を

TOMOO, Super Ballより

ここから曲名にもなっているスーパーボールが登場します。

サビ前までの部分では、「真四角になれる素質」に関する歌詞が続きます。

「真四角」というのはこの曲の中ではほかの人にはない尖ったその人だけの個性、アピールポイントなどの揺らぎないもののことを示していると思われます。

最近は、AIの発達などで誰にでもできることしかできない人、すなわち「真四角になれない人」は必要ないともささやかれています。

ですが、誰しもがほかの人とは違う特性を持っているなんてことはあるのでしょうか?

実際のところ「真四角」になれる人なんていないのではないのか?とTOMOOさんは問いかけているのです。

実はみんなスーパーボールのように特別でも何でもない丸いものなのではないか

このようなメッセージが隠されています。

プロにも絶賛された対比構造

「収まりのいい綺麗なビルじゃ まるで馴染まないちゃちなボールをポケットの中一個隠して」という部分は、プロも絶賛するような対比構造がとられています。

「収まりのいい綺麗なビル」と言って想像できるのは、大きくて四角い都会のビル

それに対して「まるで馴染まないちゃちなボール」というのは小さくて丸いただのスーパーボール

一般的には「ビル」のように個性があってどっしりとして大きいものになるのが理想とされているのに、実際には「スーパーボール」のようにちゃちで角がない存在である私たち。

このギャップが対比によって際立って描かれています。

ビルとスーパーボールというとても身近なものを対比するという、対比構造がとても画期的で天才的です!

テレビ番組「関ジャム」でも、この部分の対比はいしわたり淳治さんに絶賛されていました

1番サビ

俯いたままで踊って 胸から飛び出す虹色

それでもときめくわけを「好き」をだまらせないで

TOMOO, Super Ballより

サビでは、尖った個性なんて気にしないでいい!というメッセージが込められています。

ここでの「虹色」というのは、スーパーボールも意識した歌詞であると思います。

ここまでスーパーボールは小さくて尖った部分もなくてダメなものとして表現されてきました。

ですが、スーパーボールは小さくても角がなくても、一個一個がカラフルで虹色の個性があります。

青いスーパーボールもあれば緑色、黄色、赤色のスーパーボールもあります。

同じスーパーボールと言えど、個性は宿っているのです。

今までさんざん尖った個性を作ろうともがいている様子を描いてきましたが、そんなことしなくても、もともと私たちには他の人とは違う個性がしっかり宿っています

無理して尖らせようとしなくてもあなた自身がオンリーワンであるよ!というメッセージが間接的に表現されているのです。

人と違った個性が求められる世の中なので、こういうそのままのあなたでいいというメッセージは心に刺さりますが、さらにそのメッセージを直接的ではなくスーパーボールを用いて比喩的に表現しているのがまた一段とメッセージ性を高めているように感じます!

無理して個性を出そうとしなくてもいいからこそ、「好きをだまらせないで」生きていっていい!と前向きな気分になれます!

2番A、Bメロ

賑わいのない遊具の陰に 砂利を探れば誰かのBB

”いさかいの種ならどこにでも”?

I know I know

誰かが今日こぼした溜息は 氷のつぶてになって降る

傘も持たず 今 君がいるなら 踊るように並んで歩こう

TOMOO, Super Ballより

2番は個性がないことに反発する周りの人々についての描写から始まります。

収まりのいいビルに囲まれた世界から逃げてきた公園。

ですがそんなところにも「誰かのBB」弾が。

BB弾といえば撃ち合って戦うおもちゃ。

どんなに厳しい現実から逃げてきて公園にたどり着いたとしても、子供のころだってちょっとした争いは起きていることもあります。

まさに”いさかいの種ならどこにでも”なのです。

どんな世界でも批判は消えることはないし、どんなに人々の理想像である”角があるような天才的な個性”を手にしたとしても批判がなくなることはないのです。

ここでスーパーボールと同じように子供が遊ぶBB弾というものを出して、情景描写をするのがまた天才的です。

「誰かが今日こぼした溜息は氷のつぶてになって降る」というのはまさにその批判を指している文言です。

溜息をついた本人はわざと聞こえるように溜息をついたのかもしれないし、何の気なしに出た溜息かもしれないです。

どちらにしろ、ただの溜息ですら時には大きなダメージとなって心にグサッと刺さることはあります

氷のつぶてのようにさんざんに痛めつけられることもあるでしょう。

そんなものをいちいち気にしていたら、「好きを手放す」事になりかねません。

ですが、いさかいの種はどこにでもあると知っていても傷つくものは傷つきます。

現代社会のつらさというものを、喩えを使って秀逸に表現されているのが2番前半部分です

2番サビ

怖がりのまま踊ってあなたに見せたい虹色

”槍出せ 角出せ”はいらない 丸いままつらぬいて

TOMOO, Super Ballより

2番サビではさらに具体的なメッセージが飛び交います。

1番サビにも出てきたように、スーパーボールのような角のない尖っていない個性だったとしても、そもそも虹色の個性が宿っています。

そしてさらに2番では「槍出せ角出せはいらない 丸いままつらぬいて」と語られています。

一般的には「槍」や「角」のような尖っているものを出せと言われることもしばしば。

ですが、尖ったものなんていらない、丸いままつらぬいてしまえばいいじゃないか

とTOMOOさんは表現しています。

実際に、尖っていなければ活躍できないなんていうもののは迷信です。

別に尖っていなくても、困難を貫いていけるような強さはその人の中に存在しています

この、尖っていなくとも貫けるという視点は新しい視点のように感じます。

これは個性がないと悩んでいる人には凄く刺さりますね。

個性なんて無理して作らなくてもいいというメッセージを、こんなにも端的にそして強烈に表現する歌詞の表現力に驚かされます。(↓つづく)

Dメロ

君の強さはとんがってるその先じゃないとこにだって宿ってる

君のかっこよさは鉄壁のシェイプじゃないとこだって活きてる

君の強さはとんがってるその先じゃないとこにだって宿ってる

君のかっこよさは鉄壁のシェイプじゃないとこだって生きてる

揺れもしない強さなんていらない いらない

TOMOO, Super Ballより

いきなりテンポが速くなるサビ前の部分。

ここは先ほど2番サビで書かれたことをさらに深堀しています。

ここで「Super Ball」に関するTOMOOさんのインタビューを一部ご紹介します。

さっきの“丸”の話に通ずるんですけど、一般的に個性が尖っていることって強さの象徴だったりするじゃないですか。尖って角ができれば、それが三角形でも四角形でも安定感がよくなるし、それによって扱いやすくなったりもする。でも私は、丸いことこそが元来の強さなんじゃないかと思うんですよ。強いと言っても、人に誇示するものではなく、いわゆる剣とか盾とは違う在り方での強さが丸にはある。見た目的な柔らかさはあるけど、凛としたものを内には持っていて、そこからクリエイトしたものをちゃんと放っていけるのが丸なんじゃないかなって。

https://natalie.mu/music/pp/tomoo04/page/2 より

丸いボールが凶器になることはあまりないけど、何かとぶつかり、接することによってポーンと跳んでいったりする。そういう可能性、豊かさがあることが丸の持つ元来の強さ。

https://natalie.mu/music/pp/tomoo04/page/2 より

このようなTOMOOさんの思いがこもっているのがこの歌詞です。

ぜひTOMOOさんの言葉と照らし合わせながらこのDメロを聞いてみてください。

そして個人的に注目したのは「いきてる」の漢字。

一周目は「活きてる」に対して二周目は「生きてる」。

鉄壁のシェイプじゃないところもあなたの強さに「活かされている」、そして強さというのは鉄壁でない部分にも「生きている」という二つの意味を漢字で表現したのだと思います。

一見聞いただけではわからない部分ですが、歌詞を見ながらだとこんな細かいところまでメッセージが籠められています!

大サビ

俯いたままで踊って そこからはねだすスーパーボール

背負わずに纏って重力も 「好き」は手放さないで

俯いたままで踊って胸から飛び出す虹色

”槍出せ角出せ”はいらない 丸いままつらぬいて

TOMOO, Super Ballより

そしていよいよラストの大サビ。

似てるようで歌詞が所々違っていて、さらに深く感じる部分があります!

まず最後の部分で今までと大きく違うのは、スーパーボールの「弾力性」に関する歌詞が入っている点。

スーパーボールは今まで述べてきたようにカラフルさという特徴もありますが、弾力性も見逃せない特徴です。

一方で今までずっと対比されてきた鉄壁は弾力性は全くありません。

鉄壁とは違って跳ねだしていける可能性も内包しているスーパーボール。

ゆるぎないものを持っているのも確かに素晴らしいことですが、どんなものにでもなっていける弾力性を持つスーパーボールも負けないくらい素晴らしいものです。

個性も同じで、たとえ際立った個性がないとしても、逆に言うとこれから何にでもなれるという可能性を秘めているとも捉えられます。

スーパーボールの特徴からどんどんこちらを肯定してくれる箇所が挙げられてきて、TOMOOさんの想像力の高さがうかがえます。

「背負わずに纏って重力も」というのもスーパーボールをモチーフにした喩えでしょう。

重力というのは私たちでいうところの重圧、プレッシャー。

スーパーボールと言えども無重力では落ちることがないのでその弾力性を発揮できません

同様に、私たちも重圧・プレッシャーを背負うのではなく纏うことで、弾む力に変えていけるのです。

誰かの批判も、周りからの期待も纏って弾んでいける!ということでしょう。

纏うものが多いほど弾みも大きくなり、「丸いままつらぬいて」いけるようになれます。

重圧も味方にしてしまえるのがスーパーボール、最後にまたさらに凄いメッセージが籠められていました!

おわりに:巧みな歌詞で表現された『Super Ball』

今回はTOMOOさんの『Super Ball』という曲の歌詞の意味を考察してきました。

比喩や対比構造など巧みに寝られた歌詞に、新しい視点でメッセージが込められていて何度聴いても心に刺さる曲になっています。

また、今回は触れませんでしたがコード進行などにもちょっとした特徴があったりと、音楽面でも特筆すべきことがたくさんある曲です。

ぜひ何度も聞いて、この曲を堪能してください!

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